2021年8月1日日曜日

「適当」がもたらす快眠!

 八月に突入した日曜日の今日。

久しぶりによく眠れました。

熟睡した後の目覚めのなんと気持ちの良い事。

夏まっさかりだというのに汗もそれほどかいておらず、目を開いて見慣れた天井を見つめながら「ん?まだ夢の中か?」と訝しんでおりました。

思えばこのところ、まるで猫の目のように「よく眠れるとき」と「眠れないとき」がくるくる入れ違いにやってくるような気がします。

そしてその原因は明確で、入眠がスムーズであるかないか、に大きく依存しております。

ではなぜスムーズなときとそうではないときがあるのか?

きっと一日の過ごし方になにか違いがあるはず!

私は思い当たることを並べて考え、ある一つの推論を導き出しました。


「快眠の日は、体と頭を適度に使っている」


今のところこれしか思い当たりません。

昨日は図書館まで1時間ほど(半強制的に)散歩をしました。

そして夜は最近始めたYouTubeの動画作り、およびそのアイデアなどに苦心しておりました。

作業を終えた時には「あぁ、気になってまた眠れそうにないな」と、ある種の諦観に浸っておりましたが、床に就いた途端にそれ以降の記憶を失いました。


「ストレスは悪い、避けなければ!」

「ストレスフリー、ストレスの無い人生を!」

などと、昨今よく目にするフレーズですが、実体験から言うと程度問題だと思います。

以前の記事にも書きましたが、

トーマス・マン著 『ブッテンブローク家の人びと』

我が子よ、昼は仕事に喜びもて励め、されど、夜、安らかに眠れるごとき仕事にのみ励め。

くらいのストレス(仕事など)はむしろ必要なのだろうと思っております。


中々寝付けない夜は、だいたい日中に「強いストレスを受けた」或いは「全く何もしなかった」場合が多いように思います。

何事もそうだと思いますが、多すぎても少なすぎても良くありません。

特に「薬」などの強い作用を有するものは当然副作用も強いわけで、適量適当を心掛ける必要があるのだと思います。

「ストレス」や「筋トレ」などももちろんそれに該当し、個人個人の器に合わせて自分自身で処方(コントロール)する必要があるように思います。


過信は禁物ですが無関心も禁物です。

「適当」をこころがけて生活しましょう。


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