せっかく前回「抑うつ」について少し触れたので、今回は偉人の言葉を引用してもう少し深堀りしてみようと思います。
ヴォルテール著 『カンディード』
色々考えすぎずにただ働くことで人は不幸を遠ざける事が出来る。いちいち出来事に対して深く意味を問うな。
ヴォルテールは基本的に人生とは辛いのが当たり前なので、そこに意味を見出そうとしたりただ悲観したりしないように!と言っています。
そして「働く」、つまり社会との接点をもって生きていれば「幸せ」とはならないまでも少なくとも「不幸」を遠ざけることは出来る、と。
しかしパスカルの「人間とは考える葦である」の言葉通り、人は熟考し、悩み、堂々巡りに苦しみます。特に人間関係に。(なにごとも「ほどほど」が重要です)
では人間関係を偉人はどう捉えていたのでしょうか?
ショーペンハウアー著 『幸福について』
人間関係については不死身でなければならない。そして幸福であるためには不幸を避ける知恵と、生きるための勇気が必要であることも。
ショーペンハウアーは社会に生きる以上人間関係の問題は避けられないものなので、それをうまく回避する知恵と勇気を持ちなさいと言っています。(これはこれから社会にデビューする若人に向けて送った言葉で、そこには社会人としての覚悟を求める意図も窺えます)
それでも人間関係が嫌で社会から離れてしまう人もいるでしょう。
すると今度は別の問題が待っています。
「退屈」です。もう逃げ場がありません。
ショーペンハウアー著 『幸福について』
人間は苦痛と退屈の間を行ったり来たりしながら生きている。
ここでいう苦痛とは人間関係のことで、逆に退屈とは社会を離れる(孤独)ことです。
つまり社会に属しても離れても、人は同じように「苦痛」に襲われる、と。
(なんと不幸な生き物なのでしょうか、人間って)
なので人は常に自分と社会との丁度良い距離をつかもうと暗中模索(もがいて)しているのです。
そしてそれは苦痛と退屈の間のどこかにあって、もしかしたら日々変動しているのかもしれません。
では、丁度良い距離とはどのように定義すればいいのでしょうか?
トーマス・マン著 『ブッテンブローク家の人びと』
我が子よ、昼は仕事に喜びもて励め、されど、夜、安らかに眠れるごとき仕事にのみ励め。
トーマス・マンは、社会との適切な距離の例として、夜ぐっすり眠れるような仕事を持つことを挙げています。
睡眠を阻害するような仕事に一体何の価値があるのだ、と。
そう、睡眠、睡眠、睡眠です。
ヴォルテール著 『人間論』
神は現世におけるいろいろな心配事の償いとして、われわれに希望と睡眠を与えた。
つまりヴォルテールは、それほどに「希望」と「睡眠」が生きるためには必要なのだと言っているのです。
私は以前の記事で
「うつ状態」とは、うまく将来が描けなくなる事(絶望)
と書きました。
つまり「うつ」になると「生きる」ことに必要不可欠な「希望」も「睡眠」も失ってしまうのです。それは苦しいはずです。
社会との適切な距離、大事です。
そして希望や睡眠はそれを計る重要なパラメータです。
いままで少し軽んじていましたが、自分で記事を書きながら改めて腑に落ちた今日この頃です。
さて、今夜も良い夢を見られますように!
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