2021年8月12日木曜日

野生の体を取り戻す!「読了後に一言二言」

 雨の京都です。

雨は新しい季節を呼びます。

雨が降るたびに少しずつ季節が入れ替わっていくのです。

夏よさようなら、また会う日まで。


と思ってみても、暑気はまだ当分の間居座ることでしょう、特にここ京都では。

という訳で?

「GO WILD 野生の体を取り戻せ」

ようやく読了いたしました。


いろいろ勉強になりました。

「考えてみれば当たりまえの事」に気付かせてもくれました。


なぜ人は「たき火がはぜる音」や「波の音」、「人の囁き声」で安心を得るのか?

なぜ人は「走るべき」なのか?

なぜ人は「睡眠」が大事なのか?

なぜ人は「炭水化物」を過剰摂取し「たんぱく質」が不足しているのか?

いずれも人の身心が20万年前からさほど変化していないという事に由来しています。


いくつかの例は以前に上げた記事で(触りだけですが)紹介しておりますので、ここでは最後にもういくつかトピックを追加しておきます。


人間は社会性動物であり、それゆえに高度な文明社会を築くことができました。

社会性というスキルが他の動物に比べて異常に発達しているのです。

例えば「共感」や「信頼」など。

これが無ければそもそも顔を認識できなくなります(違いが分からない)。

また表情から気持ちを察することも出来ません。

このような能力に多大な影響を及ぼすのが「オキシトシン」という物質で、これは鼻から簡単に(コカインのように)吸入することが出来るそうです。

では、子供の頃からこれを吸わしていればいいじゃないか!となるのですが、もちろんこれにも弊害があるようです。


「共感」や「信頼」はあくまで仲間に対する感情であり、その傾向が強くなればなるほど他人(部外者、敵)には逆の作用が現れるようです。

例えば、平気で他人を殴っている”その筋の人”が、自分の家族にはものすごく優しい、或いは、身内には献身的で協調する人が、外国人には偏見を抱いたり攻撃的になったり。

とにかく、作用には必ず相応の反作用があって、どうやら我々は天秤の左右を同時に降ろすことは出来ないようになっているようです。


なのでこの著者も言っていますが、「幸せ」とは両極の間でバランスをとり、軽やかに行き来することにこそある、というのは至言だと思います。

寝すぎもダメだし、眠れないのもダメ。

食べすぎもダメだし、食べないのもダメ。

ストレスは有りすぎてもダメだし、無さ過ぎてもダメなのです。

あちらを立てればこちらが立たず、生きるのは実に難しい。


やはり以前の記事「憂鬱、不眠、倦怠……社会との距離を考えよう!」に書いた偉人達の言葉は、「生き方」の核心をついているなと改めて思いました。

特にトーマス・マンの

「我が子よ、昼は仕事に喜びもて励め、されど、夜、安らかに眠れるごとき仕事にのみ励め」

は、社会の中に自分を置くべき位置を、うまく言い表しているなと思います。


ちなみに西洋とここ日本(昔)では、この「仕事」についての認識が少し違っていて、キリスト教的な感覚で言うと仕事というよりは「労働」ですね。

何が違うのかと漢字の成り立ちを少し調べてみると、以下のような感じになります。(漢字だけに)


・労働

 労 : 苦しむ、疲れる、悩む

 働 : 勤める、稼ぐ、功績


・仕事

 仕 : 仕える、学ぶ

 事 : 仕える、専念する


つまり、「労働」はお金を得るために苦しさに耐えるという意味合いですが、「仕事」は自己修養し公益のために尽くす、というような意味に思えます。

しかし今の日本において仕事は労働になっています。

特に夜勤。

夜勤で女性の乳がんの発症率は30%ほど上昇するらしいですし、私の知人などは心身ともに健康にもかかわらずシフト勤務のために睡眠剤を常用しています。

ほんとにこれこそ「仕事」ではなく「労働」ですね。


そのうち突然進化でこのような生活に耐性のある人類が生まれるかもしれませんが、ほとんどの人は20万年前の原始人と一緒です。

森を歩くとナチュラルキラー細胞(抵抗力を上げ感染症などを防ぐ)が40%増加するらしいですし、笑顔は幸福感を増やす脳のニューロンが発火するとのこと(目じりの筋肉は迷走神経につながっているから)。

人間らしい暮らしとは?

考えすぎも問題ですが、ストレスにならない程度に考えてみましょう。


以上、なんかとりとめもなく書き綴ってしまいましたが、

それではっ!


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