その昔、聖地奪還を大義に掲げ、エルサレムを目指した十字軍。
しかし実際のところは、当時戦争が減って職を失った兵士の為の失業対策でした。
教化による幸福を理念に掲げ、大航海に乗りだしたカトリック諸国。
これも実際は植民地からの搾取による本国の経済対策でした。
美辞麗句に彩られた歴史的事実には必ずと言っていいほどその裏があって、実は裏こそが真の目的だったりするものです。
昔私の上司Aのパワハラともとれる振る舞いを、さらにその上の上司Bに相談したことがあるのですが、その時のBの言葉は今でも忘れません。
「保身……やな」
保身??当時の私にはそんな発想など微塵も無く、ただ単にAの性格的問題としか捉えられていなかったのですが、社会的地位が高くなればなるほど足の引っ張り合い、いかに競争相手を蹴落としてのし上がるかが当たり前の状況において、保身(如何に責任を逃れるか)に気を遣うのは当たり前の人間心理なのでしょう。
しかし処世術、人心掌握術に優れた人ならば、その心理もうまく隠して社会の荒波を乗り越えていくのでしょうが、どうやら当時のAにも私にもそのようなスキルは無かったようです。
私はBに「いや保身とかではなく……」とその後も頑張ってAの人間性云々を訴えたのですが、Bからは更にこんな言葉が返ってきました。
「ヤドカリ君、自分ピュアやな」
???ピュア
素直に受け取ると「純真、心が綺麗」というプラス評価の言葉なので、当時の私もその言葉の直接の意味そのままに受け取って割と悦に浸っていました。
でもその後、上述の「保身」云々のくだりも含めよくよく考えてみると、いやこれはむしろ反語、ある意味における皮肉、つまりは
「君、世間知らずの無知だねえ」
という意味なのではないだろうか、いや少なくとも半分はそうに違いないと思うようになりました。
今となっては恥ずかしい経験です。
物事に裏表が有るように、人間も必ず裏と表を持っています。
いつも鷹揚として穏やかな後輩が、実はねたみひがみの塊だったり、
人当たりの良い女子社員が、嫉妬にくるって裏でデマばかり流していたり、
まあいろいろある訳です。
結局何が言いたいのかと言うと、何かを本気でなそうとしたとき、必ず裏と表、その両輪が必要になるという事です。
本気の人は必ずその両輪を持っています。
Aは本気で生き残りたかったのでしょう、後輩は本気で出世を考えていたのでしょう、女子社員は本気で幸せが欲しかったのでしょう。
例えば好きな子に振り向いてもらいたいとき、いつもの自分をありのまま見せる人はいません。心の中には欲望が渦巻いていますが、表面では「素敵な自分」を演出します。
企業も同じです。
裏では日々利益を追求し一円でも儲ける方法を考えていますが、公表する企業理念(表)には美辞麗句が並んでいます。
ここまで「本気」の前提として裏表の所有をあげましたが、
この裏表が両輪として正しく機能している「人」或いは「企業」或いは「国」が成功するのだと思います。(ちなみにここでいう成功とは自己実現のことです)
十字軍だって大航海だって大義(表)と実利(裏)、その両面がきちんと両輪として機能したからこそ実現できたのですから。
裏表のない人になりなさいと言われた?
……なんだその薄っぺらい人間は。
裏も表も厚くするのです!
そうすれば人から裏は見えなくなりますし、表の重さに耐えられなくなることも無いでしょう。
私も裏と表をうまく張り合わせて、厚みのある人間になりたいものです。
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