「おっといけない!コーヒー、買っとかないと」
私は朝起きると、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れて飲むのが習慣になっているので、危うく在庫切れになりかけていた家のコーヒーの事を思い出して、スーパーで目に入ったあるコーヒーに手を伸ばした。
夏はずっとアイスコーヒーである。
熱い淹れたての濃いめのコーヒーを、氷一杯のグラスにゆっくりと注ぐ。
ストローをさして、たまにガムシロップを入れて、グラスの中を気が済むまでかき回してから一口。
至高のひと時である。
なんだか、一日の始まりをやさしく告げられたような、眠気をそっと拭い取ってくれたような、そんな気がする。
つまり、コーヒーは私にとって毎日を規則正しく過ごすために無くてはならない存在となっているのだ。
そして、今回スーパーで手を伸ばしたのはこのコーヒーだった。
安さに負けた。
頻繁に無くなるので、とにかく”半額”という通常の値段設定の理不尽さに戸惑いながらも、とにかく安さに負けたのである。
私は棚に大量に陳列されていたこのコーヒーを、とりあえず”騙されるわけはない”と思いながら騙されたつもりで購入した。
翌朝、私はいつものようにコーヒーメーカーでコーヒーを淹れた。
もちろん昨日購入したコーヒーだ。
「粒が粗い。それも異常に。まるでビーズのようだ」
私は少し嫌な予感がした。というより、これから”嫌な体験をするだろう”という、ほぼ確信に近い予想を抱いたのだ。
数分後。
コーヒーメーカーから景気よく湯気があがり、湯を吸い上げる「ゴボゴボゴボ」という音が聞こえてくる。
「良い音だ、癒される」
暫く待っていると、音が止んだ。
少しおいて、私は出来上がっているであろうコーヒーを見に行った。
インプット(入れた水)に対してアウトプット(出来たコーヒー)が異常に少ない。
「どういうことだ!ポットに穴でも開いているのか?」
私はまた嫌な予感がした。というより、これから”嫌な体験をするだろう”という、ほぼ確信に近い予想を再び抱いたのだ。
アイスコーヒーにして、一口飲んだ。
「?」
それはコーヒー、というよりコーヒー味の白湯に限りなく近かった。
「おい!こいつ、散々水分だけ吸収しておいて何も成分を出していないじゃないかっ」
私は「スーパーアメリカンかな?」と訝しんで、パッケージに目をやった。
一応、”コク”とか”香り”とか書いてある。
「いやいやいや、誤差だろぅ全部。そもそも5点満点の基準は一体なにと比較してのものなのだ」
私は一瞬、比較対象は水なのだろうか?とも思ったが、それでは陳列する棚が間違っている、桃水とかそういうものと一緒に並んでいなければならない。
私は一応自分の味覚を疑ってみたりもした。
でも牛乳は牛乳だったし、ゆで卵はゆで卵だったので恐らく問題は無い、というかいつもの自分のはずだ。
「こいつとこれから毎朝過ごすのか!それも割と多いぞ、これ」
私は朝から一種の絶望に近い……いや絶望を感じていた。
「未来が見えない、あぁ鬱になりそうだ」
もう少し冷静になろう。たかがコーヒーじゃないか。私は自分にそう言い聞かせ前向きな理屈をひとりごちた。
「いくらなんでもちゃんとしたメーカーが作って販売しているのだし、そこにはおそらく開発者がいて企画者がいて品質管理者がいて、それにエチオピアの生産者がいるはずだ。Goサインを出した責任者だっているわけだし、もしかしたら私の舌や鼻がまだ慣れていないだけなのかもしれない。きっと飲んでいるうちに良さが分かってくるさ」
本当にそうなればいいと思っている。
また明日の朝も淹れてみよう。
メーカーを信じるんだ。
それでも私は、スーパーで観たあの半額マークを貼られて棚にうずたかく積まれていた光景を、思い出さずにはいられなかった。
つづく……
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