2021年8月6日金曜日

野生の体を取り戻す!「コアラとホヤの共通点、そして人生とは」

 今日も暑苦しい京都、皆さんいかがお過ごしですか?

私はというと、さっき昨日の残りのドラゴンフルーツを食べて、名前とは裏腹なそのパンチの無い味にある種の戦慄さえ覚えている所です。

そう言えば現在読書中(遅々として進まない)の「GoWild」に、また興味深い情報が載っていたのでドラゴンフルーツの口直しにでもここで紹介したいと思います。


みんなのアイドルにしてユーカリの王コアラ。

ずんぐりむっくりしていて可愛いですね。人気がでるのも理解できます。

いつからユーカリを住処兼食料としていたのかは知りませんが、ご存知の通りとにかく彼らはユーカリ無しには生きていけません。まさにユーカリに特化し最適化された生き物なのです。

なにしろユーカリにしがみついている限り、外敵からの脅威は減りますし、食べるものに苦労することはありません。まさにパラダイス、理想郷です。

そんな如何にも幸福そうなコアラですが、実はかれらの頭蓋骨の中身はスカスカだそうです。なぜなら脳みそが恐ろしく小さく退化しているからです。

なのでいずれ脳のサイズに合わせて頭も小さくなるでしょう。

8頭身のコアラ、どう考えても可愛いとは思えません。


「コアラ……頭が良さそうには見えなかったが、まさかスカスカだったとは」


彼らの脳がなぜ小さくなったか?

それはユーカリを見つけて、そこから必要十分な栄養を摂取できるようになったからだという事です。もはや餌を探して採る必要がなくなったので、「考える必要」或いは「考える事自体」が無くなってしまったのです。

同じことが海生生物、食べても美味しい「ホヤ」でも起きています。

彼らは生まれてすぐ栄養価の高い海域を探して泳ぎます。

そして生息に適した場所を見つけると、真っ先に行うのが自分の脳を食べる事だといいます。

何故なら、コアラ同様もう必要ないからです。

無駄にエネルギーだけ食う非効率な部分は、問答無用で切り捨てるのが生き残るためのルールです。


「そうですっ!我々の頭と体だって日々隙あらば効率化に勤しんでいるんですよ。

 あー恐ろしい」


DNAは「将来」や「未来」などという概念を持ち合わせておらず、ただ今に順応するために変化するようです。3か月後の引き締まった体を夢見て辛い筋トレをお金まで出してするのは人間だけで、それは人間が未来という概念を持っているからなのでしょう。


こう考えると、一見コアラもホヤも「幸福な人生」を送っているようには見えませんが、そもそも幸福な人生とはなんでしょうか?

もし我々より高次の生き物、例えば「神」がいるならば、コアラと人間、いったいどちらが幸福な人生を送っていますか?の問いに恐らくこう答えるのではないでしょうか?


「どっちでもええ。そもそも興味ない!」


これは、我々が「ダンゴムシとミノムシ、どちらが幸福か?」という問いに対する答えと同じです。


サマセット・モームは人生についてこう言いました。

「人生に意味など無い。それはただペルシャ絨毯の意匠である」

と。


ペルシャ絨毯はそれを編む人によって一針一針様々な意匠が織り込まれます。

毎日少しずつ少しずつ。

そして気が付くと、複雑で唯一の絨毯に織りあがっています。

織りあがった模様には何の意味も無いのですが、どれだけ複雑な意匠を織り込めたかでその絨毯の価値が決まります。

それでもシルクやウールで織られているので、いずれ風化してこの世から消えていくのですが。


人の人生もそんなもんで、人それぞれに全く別の、実に複雑な絨毯が織りあがります。

そして、織り終わった後は人々の記憶から消えていくだけです。


恐らくコアラやホヤには出来ないであろう人生を織る作業。

どうせなら思いっきり複雑な模様に織りあげたいものです。

それでは。


ちなみに今回の参考文献は今読書中の

「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」

 ジョンJ.レイティ (著), リチャード・マニング (著)

です。

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