木枯らしの吹く朝だった。
天気予報を見ると、京都は「晴れ時々曇り」だった。
しかし、空は今にも降って来そうな雲行きだった。
「どうしようか?でも雨は0%だし」
私は借りていた本を返すために、散歩ついでに近所の図書館へと向かった。
近所と言っても徒歩で約20分ほどあるので割と面倒くさい。
ついでに、その本はあまり面白くなかった。
外国の医学系の本だったのだが、悪影響の事ばかり語っていて、肝心な根拠についての説明が希薄なので「あぁ、そうですか……」と、次第にページを繰る指の動きが速くなっていくような、そんな感じの本である。
なので、返却に向かう私の気持ちも、この空模様と同様に曇っていた。
約10分ほど歩いたところで、ポツリポツリと空から雨が落ちてきた。
「やばい、こんな中間地点で」
あっという間に土砂降りになった。
「おい天気予報!何を根拠に0%と断言したんだ」
純真な心で天気予報を信じた私は、もちろん傘などは持ち合わせていなかった。
私は目に入ったガレージの軒先にとりあえず非難した。
すぐに犬を連れたおじいさんが同じ場所に入ってきた。
空を見上げると、遠くの方は明るかった。
「おそらく通り雨だろう。しばらくここで雨宿りしよう」
狭い路地の向こうにある理髪店で仕事中のお婆さんが、急に降りだした雨か、或いは雨宿りをしている我々か、恐らくその両方だろうと思うのだが、散髪の手を休めてしきりにこちらの様子を窺っていた。
それから約5分ほど経っただろうか。
やや小降りになったのを見計らって、おじいさんは犬を(強引に)連れて、軒下を出ていった。
犬としてはどうなのだろう?雨にぬれてもやっぱり散歩優先なのだろうか?
私はというと、特に時間に追われている訳でも無かったので、まあもう少し待ってみようという気でボーッと軒下での雨宿りを楽しんでいた。
更に数分後、雨は止むどころかその勢力を増したように感じられた。
すると理髪店のお婆さんが、慌ただしく2階への急な階段を登る姿が目に入った。
それは見ていて恐ろしいくらいの急階段だったので、私はおばあさんが誤って転倒してしまわないかちょっと不安気に見守っていた。
「入れ忘れた洗濯物でも取り込みに行ったのだろうか?」
やがてお婆さんが、再びあの急階段を下りてくる姿が目に入った。
手には傘を2本持っていた。
そして、お婆さんはつかつかと私の元に歩み寄り、
「これ、つこうて。(返却は)今度ここ通ったときでええから」
と、私に傘を一本渡してくれた。
恐らくもう一本は、さっきまでここで私と雨宿りをしていたおじいさんの為のものだったのだろう。
私は「ありがとうございます。助かりました。お借りします」と、深く一礼して傘を受け取った。
お婆さんは、そのままそそくさと理髪店に戻っていった。
「なんて良い人なんだ。さっきからこっちを覗いていたのは我々が困っているのを察したからだったんだな」
私は一気に心の中が晴れあがったように感じた。
土砂降りの中、私はおばあさんの親切がこもった傘をさして、図書館への道を急いだ。
図書館に着くまでに雨はすっかりあがり、天気予報どおりの陽光が差した。
まるで天気に私の心が反映したかのように。
下らない本の返却という苦行と、天気予報に裏切られたショックとで散々になるはずだった散歩が、ある意味そのお蔭で、こんなにも明るく晴れやかなものに変容するとは。
本当に何が幸いするか分からないものである。
下らない本、ありがとう。
嘘つき天気予報、ありがとう。
そして、親切なおばあさん、本当にありがとう。
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