細雪の舞うここ京都。
つい先ほど、私は家から歩いて5分の神社で2022年の初詣をして参りました。
コロナ過という事もあって例年の賑やかさは有りませんが、それでもやはり日本人。
恐らくご近所と思われる方々が、本殿の前に列を作っていました。
時計を見ると0時2分前。
しばし小雨まじりの雪を肩に受けながら、私も列の最後尾につきました。
そして、ちょうど0時。
最前列から初詣の参拝が始まりました。
何か足りないなと思っていたら、参拝の時に鳴らす鈴が無いではありませんか!
何か事情があるのでしょうか?
もしかして直接手に触れるということから、省略されてしまったのでは!
鈴を鳴らさずに神様はちゃんと起きて来てくれるのでしょうか。
寒い中(5分ですが)歩いてきたのに心配です。
私はとりあえず鈴が無い分若干柏手を強めに打って、参拝を終えました。
そしてそのままおみくじ売り場へ。
ここもおそらく直接手を触れないようにという配慮からでしょうか、ジャラジャラ言わせて落とす番号札ではなく、自分で直接くじをとる方式に変更されていました。
肝心のみくじの結果は「う~ん」でした。
「道に迷って正道に出るように、君も自らの過ちを悔い改め、神仏を信じていればきっと救われるでしょう」と、まるで私が過ちだらけのうえ神も仏も信じていないような人間のようです。言っておきますが、私は神も仏も場合によっては信じるすこぶる日本人らしい日本人です。
しかしやはり神のお言葉、”道に迷って彷徨い歩くうちに正道にたどり着く”というのは、まさに人生そのものだなと少し感慨深く感じました。
さらに神社なのに「神仏」ときちんと仏のことも書いてあるのは、神仏習合、本地垂迹説という独特な宗教観念を持つ日本らしくていいなと思いました。(「悔い改め」というところはどこかキリスト教みたいですし)
私はその有り難いみくじを精読し、境内のたき火でしばし心を浄化しました。
燃え盛る炎と、そのはぜる音に目と耳を集中させていると、突然見知らぬおばさんがデパートの紙袋を投げ入れました。
「え!このたき火、そういうものなのか?」
私は、境内のたき火をまるでごみ焼却炉のように扱ったそのおばさんに、新年早々なんとも例えようのない感情を抱きました。
「さて、とっとと帰ろう。寒いし。濡れるし」
参道へ歩を進めながら、私は再びもの足りなさを感じました。
私はこの神社の初詣で毎年行う3つの恒例行事があります。
2つはもちろん参拝とおみくじ、そして3つ目はぜんざいとお神酒を頂くことです。
なんと今年はぜんざいとお神酒がありませんでした。(去年はありました)
おそらくこれもコロナのせいでしょう。
鈴の無い参拝とジャラジャラの無いおみくじ、そしてお神酒とぜんざいも無くなりました。
全てコロナのせいです。
ルールにしろ行事にしろ一度無くしたものを復活させるのはなかなか難しいものです。
もしかしたら鈴もジャラジャラもお神酒もぜんざいも、コロナが終息しても二度と復活しないのでは!
そんな危惧を抱きながら帰路についた私です。
2022年、大丈夫でしょうか?
というか私は大丈夫でしょうか?
先が思いやられますが、コロナに負けず、とにかく今年も頑張って生きようと思います。
それでは!
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