すっかり秋も深まってきた今日この頃。
ここ京都でも、徐々に太陽は優しく、風は厳しくなってきたようです。
どうやら季節が刻々と移り変わるように、社会も常に変容しているようです。
そういえば選挙です。
という訳でたまには政治ネタでも投下してみようかと思い立った私は、近年の社会の変容について考えてみました。
グローバル化が叫ばれて久しくなりましたが、それ自体は実は古くからある形態の一つで別段新しくも何ともありません。
ギリシャやローマ、そして唐などの古代から、常に世界は(その当時における)グローバルでした。シルクロードなどはそれを示す顕著な事例の一つでしょう。
ただ近代になって流通の範囲が格段に広がったことから、その影響力の大きさが注視の対象となったのだと思います。
国を越えて商売をする為には様々な障壁を乗り越える必要があります。
関所で支払う関税や国に支払う所得税、そして各国ごとに定められた商売のルールや使用する貨幣など。
シルクロードの時代から、政府や役人にとってそれは大きな権益となり、商人にとっては逆に障壁となったのでした。
これは現代のGAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)に代表されるようなグローバル企業にとっても全く変わっていません。
彼らにとって政府や役人(つまり国家)とは、自分の利益を棄損する障壁でしかないわけです。
なので、これらの企業は税金を極力払わないで済むような方法で企業経営を行います。
ビル・ゲイツはこう考えています。
「政府に税金を納めても碌なことに使わないのだから、その金は我々インテリが公益に利するように使う方が良いのだ」
100%間違っているとは言いませんが、では彼と中国共産党とのつながりはどうなのでしょうか?
面白いことに、中国やロシアはこれらの企業を自国からシャットアウトしています。自国の産業を食い荒らされ、ひいてはそれが国を弱体化させ、実質的に乗っ取られることを知っているからです。
それでも彼らはお互いに協力するのです。
何故か?
共通の敵がいるからです。
それが西側の民主主義国家です。
国家の最大の権力とは何でしょうか?
徴税権です。
無条件に全国民からお金を集める事が出来る強大な権力です。
前述したように、グローバル企業家にとってこれは自らの利益を棄損する圧倒的な障壁です。かれらは国家という存在が邪魔で邪魔で仕方がないのです。
いわゆる一種のアナーキズム(無政府主義)の考え方です。
そして、この考え方に非常に親和性の高い主義が近年誕生しました。
・ネオ・マルクス主義
・ポストモダニズム
簡単に説明すると、
ネオ・マルクス主義とは、旧マルクス主義における階級(資本家と労働者)を別のカテゴリーで構築し、一方を悪とみなして批判する事です。
例えば人種(白人と有色人種)、ジェンダー(トランスジェンダーと男女)、宗教などで善悪(大抵はマイノリティが善となる)を決めつけ、悪とした方を徹底的に批判します。
ポスト・モダニズムとは、既存の価値観(例えば道徳的観念や科学的理論)を否定し、破壊することで新しい価値観を創造していく考え方です。
いずれの主義にもある共通した目的が垣間見えます。
社会を分断し、政府を弱体化させ、ひいては国家の破壊へと繋げる事です。
これらを鑑みると、近代のグローバル企業家たちが少なからずこれらの主義に影響されて行動している事が理解できます。
国連の幸福度ランキングの常連国であるフィンランドやオランダは、これら左翼的イデオロギーの恰好の遊び場になっています。
民主的な先進国で国力が比較的小さい国は、これらイデオロギーの美辞麗句に倫理的に抗う事が難しいのです。
例えば同性婚が法的に許容されたのもこれらの国が最初でした。
これは既存の価値観を覆しただけではなく、キリスト教における同性愛の禁止という信教の自由にも抵触しています。
これらの国にはもう一つ共通点があります。
税金が異常に高いという事です。
しかし、グローバル大企業にはなぜか優遇の度合いが高いのです。
この仕組みを利用してある一つの策が考えられます。
ベーシックインカムです。
前述したように国家の最大権力は徴税権です。
グローバル企業家はこれをむしろ自分たちの利益の為に利用しようと考えているのではないでしょうか?
例えば、税金をさらに増やす代わりにベーシックインカムを導入すると、これまで生活するだけで一杯だった貧しい層に将来を懸念しなくても良い余剰金が入ることになります。
さあ、そのお金は一体どこへ行くでしょうか?
恐らくドーパミンの命ずるまま、ギャンブルや嗜好品などに向かう事でしょう。
ベーシックインカムと同時にカジノを設置し、そこにスロットマシンを配置するだけで、政府が集めた税金は庶民を通して更にグローバル企業家を富ますことになる訳です。
いわばこの時点で政府は、一部のグローバル企業家の為の集金マシンになり下がるのです。
こう考えると、ベーシックインカムとカジノ設置は彼らにとって非常に相性の良い施策だということに気が付きます。なのでこれらの案が同時に出てきた場合には注意が必要です。
ネオ・マルクス主義やポストモダニズムの激流は、現在ヨーロッパやアメリカを席巻しています。
BLM(ブラックライブズマター)やアンティファ(反ファシスト)などはその典型的な例で、かれらは倫理的優位を逆手にとって政府、警察、教会や化石燃料産業などを徹底的に攻撃しました。
いずれも既存の価値観を壊し、社会を分断することに成功しています。
私は社会の革新については何ら異論を唱えるつもりもありませんし、むしろ必要な事だと思っています。
ただ問題なのは、それらが一部の人の私的野心や私益に基づいて強制される事です。
日本においては明治維新という革新がありましたが、例えば吉田松陰は自らをして「狂狷(きょうけん)の徒」と呼んでいました。
狂狷とは論語の言葉で、今風に言うと「狂」は変革、「狷」は保守という意味です。
彼は、変えなければならない部分と守らなければならない部分とをしっかりと区別しており、そしてそれらは常に公益、国益に基づいていました。
現在の革新のように、その目的が私益に基づく国家の破壊などという恐ろしいものとは真逆のものだったのです。
ここで現在のわが国についてはどうなのか考えてみましょう。
ネオ・マルクス主義やポストモダニズムは決して対岸の火事などではない事に気が付くはずです。
男女別姓、男女雇用均等、沖縄やアイヌの問題などがすぐに挙げられます。
いずれも倫理的正論で武装し、民意を分裂させることで国家の弱体化につなげます。
そして一番大きな問題が、女系天皇許容論です。
日本における女系天皇許容論というものは、彼らにとって日本人に強固な普遍的価値観と統一性をもたらしている礎への挑戦であり、民意を分断するのに最も効果的な材料となっているのです。
彼らはこれらの問題を、ただ倫理的正論によってだけではなく、ある機関を利用して強要しています。
国連の何々委員会です。
通常、国内のある一つの問題を解決する為の立法は国会で十分な議論を交わし、複雑な手続きを経て承認されるのですが、国際条約というものはそれらの手順を踏まずに、同時に多数の国家を制約するルールを決める事が出来るのです。
こんな便利な機関を国家の破壊を目的とする輩が利用しない手はありません。
なので、国連の何々委員会の委員長などというポストを得るために、多くの国や団体がそこに献金し、代表を送り込むのです。
「献金できるのは国に限らない」というのがミソです。
最近、かの日本航空は機内での英語による挨拶を次のように変更したそうです。
以前:「Ladies and Gentlemen」 淑女と紳士の皆さま
現在:「All Passengers」 全ての搭乗者の皆さま
私はこれを日本航空が、「人間の性は男と女だけではない」という、どこかの過激団体からの圧力に屈したように見えました。
何なんでしょう?これ。
しかし、次々と追随する企業が出てくることでしょう。
既存の価値観、常識の破壊。
その先には一体どんな未来が待っているのでしょうか?
さて、簡単ではありますが色々と述べてみました。
ここまで複雑だと、じゃあどうすればいいの?と混乱してしまいますが、近年はマスコミに頼らずとも必要な情報が収集できる時代です。
倫理的正論に騙されてはいけません。
特に、なになに権とかいう言葉が出てきたときは注意しましょう。
所詮「権」などというものは実体の無い夢や幻のようなものです。
権威、権力、人権、権利、などはそれ故、いかようにも利用できるのです。
ついでに名無しの権兵衛。
名前が無いから「権」兵衛なのです。
それでは!
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