ビデオゲームの論評などによく「世界観」という言葉が使われています。
ところでこの「世界観」って一体何の事なのでしょう?
漠然と≒「雰囲気」のような捉え方をされている感もありますが、私は似て非なるものだと考えています。
ビデオゲームは主に以下の3つの要素で構成されていると思います。
1.世界観
2.ストーリー
3.主体的行動(アクション)
1と2は小説や映画などと共通する要素です。
3の主体行動とは、プレイヤーが実際にコントローラーなどの入力デバイスを操作して主体的な行動を起こす行為、すなわちゲームプレイのことで、ビデオゲーム特有の要素です。
これら3つの要素を予算の中で適切に割り振って、1つのビデオゲームが製作されます。
ここでいう適切とは、主にアクションゲームなら3を多く、アドベンチャーゲームなら2を多く、RPGなら1,2,3を割と均等に分配するということです。
さてここで「世界観」の話に戻りますが、私の定義としては以下になります。
「人々(キャラクター)の生活が垣間見え、そこでの自分の生活が想像できる世界」
つまり社会のことです。
ここで1つ例を挙げましょう。
『BloodBorne』というPS4アクションゲームの傑作があります。
ゴシックホラー様式のいわゆる「死にゲー」で、2015年にフロム・ソフトウェアが開発、SIEから発売され世界中でヒットした傑作です。
このゲームは、高い難易度にも関わらず何度死んでもまた挑戦したくなる秀逸なアクションが売りですが、一方でその独特な「世界観」、そして誰しも深く考察したくなる「ストーリー」も評価されております。
改めて3要素で考えてみましょう。
1.世界観
2.ストーリー
3.主体的行動(アクション)
3は間違いなく最高です。コスト(時間、お金、アイデア)もここに一番かかっているはずです。
ただ1と2はどうでしょうか?
上述したように「世界観」とは社会です。
はたして『BloodBorne』の世界の中で自分の生活が想像できるでしょうか?
出来ないと思います。
これが世界観とよく混同される「雰囲気」です。
『BloodBorne』に世界観は無く、ただ雰囲気をうまく演出しているだけなのです。
またこのゲームの「ストーリー」は極限までコストが削られています。
開発者の頭の中にはしっかりとした設定があったとしても、ゲームには最小限の反映しかされていないはずです。
では何故『BloodBorne』は世界観とストーリーも上質に感じるのでしょうか?
1,2,3の質の向上(底上げ)に欠かせない副次要素があります。
「絵」と「音」です。
「絵」は主にグラフィック、「音」はBGMや効果音などです。
『BloodBorne』は「絵」はもちろんですが、とにかく「音」の演出がうまい。
面白いのは「無音」でさえうまく活用している事です。
あえて無音にすることにより、心地いい靴音は強調され、さらにはボス戦BGMの特異性が際立ってくるのです。
『BloodBorne』は3(アクション)に比重を置いた分、いかに1(世界観)と2(ストーリー)を(悪く言うと)ごまかせるか、そしてそれに成功した稀有なゲームだと言えます。
そういえばフロム・ソフトウェアの次回作『ELDEN RING』ですが、聞けばRPGとのこと。
理屈通りなら少なくとも『BloodBorne』よりも1(世界観)と2(ストーリー)にコストがかけられるはずです。
ちなみに、ストーリーには『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作者であるジョージ・R・R・マーティン(George Raymond Richard Martin)氏が加わるということ。
ごまかし無しのフロム・ソフトウェアの「世界観」と「ストーリー」。
いやぁ、楽しみですねぇ(^.^)/~~~
追記:
ちなみに私が思う「世界観」が素晴らしいゲームは、『ElderScroll スカイリム』と『ウィッチャー3』です。
しかし残念ながらこれらのゲームは3.主体的行動(アクション)をうまくごまかしきれていないのが残念ですが……
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