もうほとんど言いたい事をタイトルで語っているのですが、私としてはなんか違和感があるんですよね。
そもそも私は、日本の仏教を宗教だとは思っていません。
あれはあくまで文化の一つであって、そこの坊主は文化施設に勤めるサラリーマン、或いは自営業者です。
なので、あえて”なまぐさ”などともったいぶって自称せずともそのまま”なまぐさ”なのです。
だって宗教と言うには「戒」も「律」もほぼありませんし、寺の継承も能力の有無ではなく家督制みたいになっていますし、ようは成立当初の面影をほぼ無くしているのです。
例えば、もともとお金を寄付できない貧しい人々にも食べ物(残飯)で仏の御利益を得られるように始められた托鉢。
ところが京都の坊主はあえて(裕福な)人の多い観光地などで威風堂々と立っていたりします。
(一体何がしたいんだか……)
でも私はこれをもって「悪!」などとは思ってはいませんし、むしろ日本だからこそ成し得た偉業だとさえ考えています。
一般的に宗教の大きな役割の一つとして「民衆の教化」というものがありますが、これは社会秩序の維持、道徳教育の発展に大きく寄与しています、というか寄与するように努めなければなりません。
ところが日本においては、”葬式仏教”と揶揄されるようにほとんど葬式でしか出会う機会のない仏教にそのような役割はとても担えません、というか担ってほしくありません。
他の国ならば、これはかなりの危機的状況となるのですが、驚くことに日本においてはそうならないのです。
何故でしょう?
私は天皇の存在が大きいと考えています。
天皇陛下の行動、発言、それらが国民を正しく教化し導いているかぎり、日本仏教は文化のままで何ら問題がないのです。(天皇制を壊せば日本も滅ぶ可能性があるのはこういう意味も含んでいると思います)
なので、彼ら坊主達には一生懸命(商売的目線で)努力し研鑽してもらって、宗教の体をギリギリ崩さず、葬式や観光以外の収入源も模索してほしいと思います。
結論:
自称”なまぐさ”仏教坊主ごときがYoutubeで偉そうに「生き方」なんぞを語っているのを見たら、
「世間知らずのただのオジサンが得意げになんかしゃべってる」
と微笑ましく見守ってあげましょう!
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