2021年7月25日日曜日

早起きの謎、そしてマルクスの言葉。

 暑い暑い夏の日本。

そりゃテニス選手も「試合時間を変更してくれ」と言いたくなりますよね。

分かります。

私もちょっとジョギングしただけで恐ろしいダメージを受けますから。

日中はまさに釜茹で地獄です。

そして昼の暑気を溜め込んだアスファルトは夜になっても熱を放射し続けます。

暑くて寝れない。そして朝起きれない。なんかいつも睡眠不足。

まあ朝眠いのは夏に限った事ではないのですが、そんな時私が思い出す言葉があります。


かのローマ五賢帝の一人、マルクス・アウレリウスはこう言いました。

 明け方に起きにくい時には、次の思いを念頭に用意しておくが良い。

 「人間の務めを果たすために私は起きるのだ」


要は寝ている時は人も動物も変わらないのだから、人としてありたいのならば早く起きて働け!ということなんですが、さすがストア派の哲人皇帝、考える事がストイックです。


でも私が救われているのはこの言葉のこういうストイックな部分ではなく、むしろ「あぁ、こんなすごい人でもやっぱり朝は眠いんだ」という何となくの仲間意識、そしてそれゆえの共感による部分なのです。

自分だけじゃないんだ、あんな偉い人でもそうなんだ、と思う事でなんだかちょっと心が軽くなる気がするんですよね。

しかし結局重要なのはその後の行動で、よし起きよう!となるか、仕方ない寝てよう!となるかで大違いなのは言うまでもありません。


ここでふと思ったのですが、そもそもなぜ朝の8時9時から社会が始まるのでしょう?

「早起きは三文の徳」なんて餌まで撒いて起こそうとする理由は?

みんな眠いのだからもう少し遅くてもいいじゃないか!

まあ生産性とかを考慮すると日が昇ってから出来るだけ早く働き始めた方が良いというのは分かりますが、夜働けないほど暗くなるマルクスの時代と違って今はかなり融通が利くはずです。

これはきっと陰謀的な何かに違いない!

恐らく年を取って早起きになった村の長老かなんかが、朝やることがないので半ば強制的に皆の起床時間を自分に合わせたとか。

だいたい太古の昔から指導者は年配と相場は決まっています。

そうなると必然的に集団の生活スタイルも年配者に合わせるようになってくるのでは?

こんな無駄な事ばかり考えながら私は今日も生きてます。

日本の中でも特に不快指数の高いここ京都にて。



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