ついさっき、某NHKで衣笠選手の17年間連続試合出場の特集を放送していたので、途中からだが一応最後まで観た。
実は私は記念すべき当ブログの初投稿記事において、フランスのサッカー選手の差別的行為について述べたついでに、当時たまたま知った衣笠選手のインタビュー記事を引用したことがある。
なので、今回も”たまたま”チャンネルが合っこの特集に興味をそそられたのだ。
特集では、氏の17年にわたる努力、葛藤、そしてスランプの時の苦悩について淡々と描かれていた。
特にスランプの時のエピソードは、まるで網に掛かった魚が身もだえしているような焦燥と、逆に金縛りにあったように体が動かなくなる恐怖とが入り混じって、思わず手に力が入ってしまうような緊迫感を私に抱かせた。
残念ながら連続イニング出場回数はそこで途切れてしまうのだが、それでも連続試合出場記録は続いていく。
監督やチームメイトなども氏の扱いや接し方にかなり気を遣っているようだ。
ただ、球団の経営層や一部ファンからは「もう変えろ」の声も聞こえてくる。
それらの期待や批判の声を背中で受け留め、氏はたとえデッドボールで骨折しても打席に立ち続ける。
ある日、氏がシーズン中に宿泊しているホテルの一室にカメラが入った。
そこには読書をする氏の姿があった。
本のタイトルは正確に覚えていないが、確かゴルフをする時の心がどうこうという類の古い本だったように思う。
野球選手がなぜゴルフの本を?と私は思ったのだが、氏によると、それは遠征先にも持っていくほど大事な本なのだそうだ。
氏は本の内容を一言でこう言い表した。
「とにかく練習しろ!」
いかに鉄人と呼ばれる「衣笠」でも、やっぱり疲れて練習をさぼりたい日もあるそうで、そんなときにこの本を読んでモチベーションを上げるらしい。
氏は続けてこう言う。
「練習するとね、ただ野球がうまくなるだけじゃないんですよ。それ以外にも一杯成長(勉強)する要素があるんですよ」
と正確には覚えていないが、確かこのような内容のことを語った。
それを聞いて私は思った。
なるほど、練習の為の練習をするなとはよく言うが、それなら目的の為の練習ならOKかと思いきや、氏は更にもう一枚練習の意義を付与している。
練習は目的(野球の上達)を達成する為の行為だが、それ以外にも様々な付加価値を生む(与えてくれる)行為であると。
精神的な成長、思考の成長、或いは身体的……その他。
何をするにしても、その行為に対する意味づけが異なると、結果は大きく違ってくるのだろう、恐らく。
私は自分の行為(仕事、練習、勉強、運動など)に対して、どのくらい深く意味づけをしているだろうか?
いや、ほとんどしていない。
ただ漠然と、惰性で、ルーチンワークとしてやっていることが多い。
氏は自分のプレイについて常に事細かくノートをつけているそうで、なぜ?どうして?をかなり深く掘り下げて考えるらしい。
同じバットの素振りでも、捉え方や意味づけの仕方で随分と得られるものが違ってくるのだろう。
一般的に練習は地味で苦しくて楽しくない。
すぐに報酬が得られないし、また確実に得られるとも限らないからだ。
でもそれは練習の報酬がただ一つ「野球の上達のみ」と限定しているからで、実はそれ以外にもたくさんの報酬が得られる事が理解出来れば、そういう地味な作業に対する取り組み方も変わってくるのだ。
私は記念すべき当ブログの初投稿記事において、衣笠選手から引用した下記の言葉が、なぜ氏の口から至極当たり前のように出てきたのか理解出来た気がする。
―――私は子供たちに向けて野球をしている。スポーツ選手は常に子供たちのお手本でなければならない――
今、このようなスポーツ選手がどのくらいいるのだろうか?
疑問である。
それでは!
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