今日は、いつぞやの記事に書いた「蝉時雨の道」を通って帰宅しました。
ほぼ同時刻だというのに森の中は薄暗く、すでに蝉の声は絶え、かわりに虫の音が響いておりました。
もう夏は終わったんだなと、少しもの悲しくなりました。
ずっと街の中に暮らしていれば、このようなささやかな事象から季節の変化を感じるのは難しく、我々人間の感性を刺激する情報というものはやはり自然の中にあるんだなと思いました。
日本人にとって蝉は夏の象徴で、虫の音は秋の象徴です。
たとえ目には見えなくとも、耳で感じるだけで移ろう季節を認識できるのです。
いわば、季節の聴覚的なモデルです。
モデルと言えば、私は真っ先に以下のリンゴを思い浮かべます。
私がこのロゴを見て凄いと感じるのは、リンゴなのに赤くないということです。
モデルというのは一般的に「抽象」という訳で通っていますが、私はもう一つ「捨象」という行為も重要だと思っています。
抽象とは重要な部分だけをすくい上げる行為で、捨象とは必要ない部分を切り取ることです。
このロゴは抽象によってリンゴの形状をすくい上げていますが、捨象によって「赤い色」を切り取っているのです。
誰がリンゴの絵を描くときに黒で塗りつぶすでしょうか?
それでもこのロゴはちゃんとリンゴに見えます。いやリンゴ以外には見えないと言っても良いと思います。
すなわち、「赤い色」はリンゴをモデル化する時に必須の要素ではなかったということをこのロゴは示しているのです。
このような発想は一般人には出来ません。
なぜなら、普通人間は効率よく生活できるようにほぼ全ての物をモデル化して把握しているからです。
例えば人間は車やテレビの形を見るだけで、例えそれが初めて見るものだったとしても、それが何をするものでどう使うものなのかが分かります。
逆に脳でモデル化されていないものを見た時、人間の脳内には一気にドーパミンが噴出します。
そして我々の意思にこう命令するのです。
「これは何だ!調べろ!そして把握しろ」
余談ですが、人間のここまでの繁栄にはドーパミンが強く関わっているようです。
生殖的には「あの娘の事をもっと知りたい」とか、
探索的には「この先どうなっているのか知りたい」とか、
科学技術的には「この謎を解明したい」とかいうふうに。
ただドーパミンには見境がありません。
とにかく好奇心を煽る一方です。ネットサーフィンが止められないのはそういう理由です。
ただ、これだけだといずれカオスになることは請け合いで、当然のようにストッパーが必要です。サーキットを綺麗に速く走るためには、秀逸なブレーキが必要なのと同じです。
なので人間には遠い未来を予測して損得勘定するという、ドーパミン抑制回路が備わっています。「ああもうこんな時間だ、明日起きられないかも」
この回路によって我々はネットサーフィンを中断する事が出来るのです。
さて、モデル化の話ですが、
Appleのロゴを考えだすのがなぜ難しいのか?
それは、一度脳内でモデル化されてしまったものを再構成しなおすという作業が必要だからです。
脳は認識に優先順位をつけていて、当然ですがモデル化されて既知のものは低く、逆に未知のものは高くなります。(全ての事象にいちいちドーパミンを噴出させていては生活が破たんしてしまいますから)
なので、リンゴという優先順位の低い概念を脳内から一度きれいさっぱり取り払い、新しいリンゴ象を脳内で(意図的に)再構成する必要があるのです。
固定観念の再構成は脳の仕様からして中々に至難の業です。
ただし、この至難の業にも抜け道があります。
例えば夢の中です。
夢の中ではドーパミン抑制回路の規制は緩くなります。
なのでそこにはモデルの制約は多くありません。車を食べてテレビが飛んでもおかしくない世界です。夢が奇想天外なことが多いのはそういう事です。
ではこの夢の中の状態を覚醒しているときにも発揮出来たら?
すなわち、頭の中の既成概念やモデルを全て取り払って、ドーパミンの命ずるままに思考出来たらどうなるか?
これこそ天才の片鱗だと思います。
例えば有名なミュージシャンや画家、それに小説家などの作品は夢で見た出来事をきっかけに製作されたものも多いとか。
当然それが夢の中だけでなく現実でも出来れば、後世に語り継がれる芸術家、或いはノーベル賞クラスの科学者や文筆家になれるでしょう。
ところで科学技術の進歩は、(残念ですが)この効果を薬物で人為的に発現させることに成功しました。
(日本のミュージシャン、作曲家などもたまに検挙されている”あれ”とか”これ”ですね)
例えばパーキンソン病に処方されるアンフェタミン(ドーパミンの量を増やす)などは、誤って使用すれば酷い幻覚作用の発現、つまりドーパミンの虜になってしまいます。
そして一度その網に掛かれば、もはや抜け出す事は困難でしょう。
つまり薬物中毒患者です。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは言いました。
「夢は束の間の狂気であり、狂気は醒めない夢である」と。
現在の精神病の一つに統合失調症というものがあります。
酷くなるとドーパミン抑制回路が機能しなくなり、興味があっちこっちに向いて会話が飛び飛びになったり、幻覚幻聴に悩まされたりします。
つまり、認識の優先順位というものがほぼ失われ、感じる全ての物に興味と興奮とを覚えるのです。脳内にはモデル化されたものはほとんど存在しません。なので同じものでも見るたびに違う認識になります。
まさに日常が夢の中のようであり、ショーペンハウアーの言は的確にそれを表現しています。
エジソンは「天才とは1%のひらめきと99%の努力」だと言いました。
私はこのドーパミンの与える影響について考えているうちに、なんだかこの言葉の意味が違う事を示唆しているように思えました。
つまり、
1%の狂気が残り99%の努力を相殺できるほどの効果があり、
その1%の狂気が無ければ、どんなに努力しても決して100%にはならない
のだと。
考えすぎですかね?
ちなみに私は今「ドーパミン」についての本を読んでいます。
今回の情報の元ネタもその本に多く依拠しています。
その本の内容についても、またいずれ紹介しようと思っています。
それでは!
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