2021年10月18日月曜日

幸福を感じるとき。そして、とある幸福度ランキング。

 とあるインタビュー番組でこのような問いが発せられました。

「あなたはどんな時に幸福を感じますか?」

それに対し、男女問わずたいていの青年~中年層はこう答えました。

「美味しいご飯を食べている時」

「寝ている時」


私はこれらのやりとりを聞いて「やっぱり原始人から変わっていないんだな、人間って」と思いました。

食べて寝る。

生きるために必須の毎日行うこの基本的な行為に、人は満足感を覚えるのです。


インタビューは続き、こんどは或る老年の紳士2人(A,B)に同じ問いが投げかけられました。

A、Bともにこう答えました。

「人に喜んでもらえた時」

「人の役に立っていると感じた時」


私はこの回答に対し、「なるほど、やっぱり原始人から変わっていないんだな、人間って」と先ほどと同じ感想を持ちました。


子育てから引退し、激しい労働にも耐えられなくなっても、なぜ人の寿命は尽きないのか?

それは彼らに群れの中できちんとした役割が与えられていたからです。

現役層の補助、あるいは導き役(知識の伝承者)としての存在。

以前も書きましたが、それは親戚であるチンパンジーの群れには存在しない役割です。

チンパンジーのオスは獲った食料を決して分配しません。例え妻でも我が子でも。

そしてメスは我が子にしか分配しません。なので子が独り立ちできるまで次の子をもうけません。

つまり、チンパンジーは食料を独りでとれなくなったとき、そして子を産めなくなった時が寿命となります。

ほとんどの哺乳類はこの法則で生涯を終えるのですが、ほぼ唯一人間だけが、それよりもはるかに長い寿命を持つのです。


人間の群れでは、老年層の女は群れの子育てを手伝い、また若い女の採集の指導を行います。

そして男は同様に採集の手伝い、或いは若い男に狩りの指導を行います。

こうすることで女は子が未熟なうちに安心して次の子を産めるようになり、男の狩猟技術の向上は食糧の確保を容易にし、それらは群れの拡大(子孫繁栄)に繋がります。

つまり、老年層は繁殖能力や体力の減衰によって現役世代のような働きは出来ませんが、これまでの知識や技術の伝承によって、群れ全体に貢献するのです。


現代の老齢の人間が、「人に貢献している自分」を認識することで幸福を感じるというのは、まさにこの原理ではないでしょうか?


国連が実施している「幸福度ランキング」とか何とかいう指標があります。

毎回上位を独占するのは北欧諸国(とくにフィンランド)で、2021年度版では日本は56位でした。

そのランキングの指標は以下のような物です。


主観的に自分の生活の満足度を11段階で評価し、

 + 以下の項目を含めて判断する。

1.一人当たり国内総生産(GDP)

2.社会保障制度などの社会的支援

3.健康寿命

4.人生の自由度

5.他者への寛容さ

6.国への信頼度


これを見て私は思いました。

「安心して眠れることや、美味しいご飯が食べられる事が入ってないじゃないかっ!」

さらにこうも思いました。

「そもそも幸福度って相対的なものなのでは?」

隣の芝は青く見える。

これも隣の家に庭が無ければそんなことは思わない訳ですし、とにかく人というものは他人と比べたがる生き物です。

自分がコミュニティーの中でどのような位置にあり、どのような境遇に置かれているのか。

結局のところ、損得勘定は比較することでしか判断できないという訳です。

以前にも説明したH&N回路などによって、生まれつき幸福を感じやすい人というのは確かに存在します。しかしそれらの人がフィンランドに特別多いという訳でも日本に特別少ないという訳でもないので、このランキングの差異はやはり外的要因だと思います。


ここで堂々第一位のフィンランドについてその特徴を挙げてみましょう。

1.高負担高福祉の代表国です。

2.人口密度は約16人/km2で世界171位です。

つまり、フィンランドでは他人と比較しようにもまず隣近所がいない、さらに高負担高福祉なので望まなければ生活にさほど不足を感じないということ。

これが国連の意味不明な幸福度ランキングで、フィンランドが何故か毎回1位の理由だと私は思っています。


フィンランドの特徴として、もう少し挙げておきましょう。

3.隣にロシアがある

4.寒い

国民は常にロシアの脅威にさらされています。なので一人当たりの小型武器の所有率は世界3位ですし、もちろん徴兵制も残っています。ロシアに気を遣ってNATOにも加盟していません。

北欧なので当然寒いです。農作物は育ちませんし、日光の恩恵も少ないので、当然そのような所で豊かな食文化が育まれるはずもありません。

日本人がインタビューで答えた、「安心して眠れることや、美味しいご飯が食べられる」という人間古来からの本質的幸福を、少なくとも日本人より享受できているとはどう考えても思えません。


とまあ、国連の意味不明な幸福度ランキングについてちょっと触れてみました。


最後に、インタビューに答えた老年の紳士A,Bですが、

AとBがその後に続けた言葉に、私は彼らに成熟の差を感じました。


A:「もう富とか名誉とかには興味ないので」

B:「私が出来ることはこのくらいなので」


Aには明らかに虚栄が見られました。(それらはもう持っているから、或いはそれら下劣なものには興味がないから)

それに比べBは正直です。


Aも人間臭くて良いのですが、信用できるのはBだと思いました。

老年の原始人に同じ質問をしたら彼らはどう答えるのでしょうか?


それでは!


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