2021年10月3日日曜日

「もっと!」ドーパミンが誘う我々の未来。

「もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学」

 ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング

最近私が読んでいる本です。


このブログでも何度かドーパミンに触れましたが、ドーパミンはこれまで快楽物質とかいう変なレッテルを貼られていました。

しかし近年の研究によって、ドーパミンは人間の探求心を惹起する脳内物質だということが分かってきました。

「あの山の向こうには何があるのだろう」

「あの娘の事がもっと知りたい」

「これは何だろう」

などと言うように、主に人間の未来(将来)について、少しでも良い(生存確率を上げる)結果をもたらすように我々を駆り立てる役割を果たしています。

動物にもあるのでしょうが、これは人間の専売特許です。

なぜ人間にこのような機能が備わっているのでしょうか?

遺伝子マーカーのパターンや出現頻度の調査によって、約20万年前にアフリカに出現した我々の直接の先祖は、およそ10万年前に突然その母なる地から旅立つことを決意しました。


やがて、

約5万年前にアジア全域に拡がり、

4万6千年前にオーストラリアに到達し、

4万3千年前にはヨーロッパに、

そして3万年前~1万4千年前には北米にまでたどり着きました。


それまでの長いアフリカでの狩猟採集生活を捨て、未知の世界へ乗り出した力の根源こそドーパミンだというのです。

我々の祖先は、その進化の過程において、何度か絶滅の危機に瀕したことがあるようです。

詳細は不明ですが、大部分が死滅し、一時人口が2万人未満にまで激減したこともあるようです。

「一か所に留まっていてはダメだ!リスクを分散しろ!絶滅するぞ!」

と誰が言ったのかは知りませんが、とにかく我々は急に探索意欲に満ち溢れた生き物に進化したようです。


ドーパミンは極めて未来志向です。

「現在」や「既存」(すでに所有しているもの)には全く興味がありません。

とにかく「遠く」、「手の届かない場所」に我々を誘うのです。

本著ではドーパミンの正体は「報酬予測誤差」にあり、ポイントは予想外の良いニュースがもたらすゾクゾクするようなな快感にあるとしています。

例えば現代においては、「出会い系」とか「ギャンブル」とか「海外旅行」とか(もうドーパミン産業といっても良いと思う)、この原理に即したアクティビティ?が我々を取り巻いています。

面白いことに、ドーパミンは「予想外」に特に惹かれます。

なのでこれらの産業は巧みにその性質を利用しています。

それは現代の標準的なカジノの80%のスペースがスロットマシンに割かれていることからも明白だという事です。

エサを求めてひたすらボタンを押し続ける研究用マウスと同様に、777の快感を求めて人はスロットマシンのボタンを押し続けるのです。


突然ですが、ドーパミンについて一つの例題があります。

もし以下のような状況に置かれた場合、あなたはどのような行動をとるでしょうか?


《例題》

部屋に入ると、中央の大きなテーブルの向こうに一人の男が腰かけていました。

男はいかにも尊大な態度で豪奢なソファに深く腰掛け、腕組みをしてあなたを不審そうな目つきで睨んでいます。

「さあ、どうぞ、座りなさい」

男は低く事務的な声で私にそういいました。

私は男の言うとおりに手前の椅子に座りました。

さて、その時の私の態度は?


1.小さく縮こまり、出来るだけ男の印象に良いイメージを与えようと努める。

2.男と同じように、いやそれ以上に尊大な態度で対抗しようとする。

3.男には無関心と言わんばかりに、平静を装う。


実はこの問いと同様のケースを実験した研究があるようで、結果は多数の人が1.の態度をとったそうです。

そしてこの結果は、まさに我々の行動がドーパミンによって制御されていることを証明しているということです。

なぜ?


前述したように、ドーパミンは我々の未来(将来)を少しでも良いものにする為に存在しています。

ただし、ドーパミンに倫理感や道徳感はありません。

手段を択ばず良い未来に誘う!

それがドーパミンです。

そして、良い未来というのは必ずしも自分が上に立つ必要はないのです。

相手に屈したくない、卑屈になりたくないという、変に人間臭いプライドが邪魔になる時だってあるのです。


上述のケースおいては、

相手の成功(権力)を無意識に感じ取った人は、相手の邪魔にならないように服従する体を取り、悪く言うとその力に与かっておこぼれを貰う、良く?は言えませんが、とにかく相手を利用して自分にとって幸福な未来を手に入れようとしているのです。

ドーパミンの目的は未来の為に環境を支配することであって、その環境にいる誰かを支配することではないのです。

いわゆる「面従腹背」、「虎の威を借る狐」ということですが、

皆さんは相手に服従していながらも、その相手を自分の意のままに動かし主導権は握ってい無いにもかかわらずその場を支配しているという感覚に、妙な高揚と喜びを感じた事は無いでしょうか?

これがドーパミンのもたらす快感です。


本著によると、

「道徳的だろうが不道徳だろうが、支配的だろうが服従的だろうが、良い未来につながる限り、それはドーパミンのなせるわざなのだ」

という事になる訳です。


なので、もし例題の相手が弱々しく卑屈な態度で座っている男ならば、ここでの「私」の態度は180度転換することになります。

成功しそうにない、力を持っていそうにない相手に対し、今度は自分が主導権を握るべく尊大な態度をとるのです。

「人を見て態度を変える」

なんとも嫌な奴ですが、ドーパミンにとっては幸せの為の最適解なのです。


ちなみにですが、私の選択は2.です。

私はドーパミン活性が低い?のでしょうか。将来よりも変な見栄やプライドにこだわる性質は大人になってより顕著になっているような気がします。

何とかしないと。


さて、

1.= ドーパミン活性が普通の一般人

2.= 私のようにドーパミン活性が低い人(多分)

だと思うのですが、

それではドーパミン活性が高い人はどうなるのでしょうか?

本著には書かれていませんでしたが、以下の例で何となく分かるような気がします。


●ドストエフスキー

 人類への愛が大きくなればなるほど特定の人間への愛は小さくなる。

●エドナ・ミレイ

 人類を愛しているが、人間は大嫌いだ。

●チャールズ・シュルツ

 人類の事は愛しているよ……僕が我慢できないのは人間なんだ。


そして極め付きは、かの

●アインシュタイン

「私の燃えるような社会正義感と社会的責任感は、他の人間たちとの直接的な触れ合いを求める気持ちの明らかな欠如と、常に奇妙な対照をなしていた」


いずれもドーパミンの塊のような人たちばかりですが、共通するのは個としての人には興味が無いどころがむしろ「嫌い」だという事です。

彼らにとって人間とは、研究、或いは探索対象としての「人類というカテゴリー」であって、交流して友情や愛を共有する「個としての人」では無いということです。


さて、如何だったでしょうか?

何事もそうですが、ドーパミンもありすぎても無さ過ぎても困りものだということが分かりました。

そして、我々を取り巻くネットやギャンブルなどの娯楽の渦は、本来は将来の幸せの為にあるドーパミンの性質をうまく利用して利益を上げているという事も。


本著をさらに読み進めて、また紹介したいと思います。

それでは!



■ ランキングに参加しています。良ければポチッと。

ブログランキング・にほんブログ村へ

YouTube Twitter 始めました。良ければクリックを。


0 件のコメント:

コメントを投稿

2022年、明けましておめでとうございます

細雪の舞うここ京都。 つい先ほど、私は家から歩いて5分の神社で2022年の初詣をして参りました。 コロナ過という事もあって例年の賑やかさは有りませんが、それでもやはり日本人。 恐らくご近所と思われる方々が、本殿の前に列を作っていました。 時計を見ると0時2分前。 しばし小雨まじり...