2021年10月10日日曜日

初秋の嵐山まで自転車散歩。

もう初秋の京都。

私は久しぶりに自転車で嵐山を目指しました。

MTBを街乗りに改造した自転車なので走行感は最高なのですが、永らく怠惰に甘んじていた私のお尻は、そのとがったサドルの洗礼にしばしの苦痛と戯れるのでした。


「あぁ、風が気持ちいい。

ジョギングでは得られない景色の流れが心地いい」


ほとんど、というか全くメンテナンスをしていなかったにも関わらず、自転車は私がペダルに込める力を推進力に転換し、グングンと前に進んでいきました。

そして、到着。













嵐山は相変わらず世界に冠たる観光地の威光を保っていました。

それでも休日の人出としては全盛期の半分くらいでしょうか?

直ぐに気が付いたのは、

もちろんほぼみんなマスクをしている事、

そして欧米人の数が激減していた事、

です。

それでも中国語だけはしっかりと至る方向から聞こえていたのは違う意味での驚きでしたが。













渡月橋も相変わらずでした。

大雨の被害にも会っていないのでしょうか?いつもよくやっている護岸や修復の工事も行われていませんでした。














そして奥に見える山こそ、春には桜、秋には紅葉で美しく彩られる嵐山です。

この地域の地層は地殻変動で大きく隆起しており、そのために周囲を断崖絶壁のような景観で囲われています。

それ故、自然を背景として庭を造る(借景)、いわゆる「日本庭園、枯山水」の名所が随所に見られます。


さて、桂川に沿って少し上流に行ってみましょう。













ここもかなりの急斜面です。

そしてその麓に見えるのが貸しボート乗り場、兼食事処です。

たまに着物を着たカップルがボート漕ぎデートを楽しんでいるのを見かける事がありますが、衣裳が濡れてしまわないのか心配になります。

ちなみにこの日も何組が見かけましたが、一組は岸に詰まって立ち(漕ぎ)往生していました。恐らく彼女の彼に対する評価はガタ落ちでしょう。














この川で有名なアトラクションとしては、保津川下りがあります。

この日は見かけませんでしたが、多くの観光客を船に乗せ、舳先に立って講釈しながら急流を下る船頭の姿は実に頼もしく見えます。


「さて、日も暮れそうだしそろそろ帰るか」

踵を返すと、渡月橋が見えました。













こうしてみると、まさか世界が今伝染病の恐怖と戦っている最中などと誰が想像できるでしょうか?

実にのどかなものです。


「たまには自転車で遠出するのもありだな」


私はこの風景にしばし現実を忘れ、ぼーっと見惚れていました。

心の洗濯を終え、再び自転車に跨った私は、再び襲うお尻の痛みと格闘しながら家路に就きました。


私は帰路を快調に飛ばしながら、ふとこんなことを考えました。

「自転車は実に体に優しい乗り物だ。

 何しろ体と硬い地面とが接していないので、ジョギングのように骨に衝撃がかからない。

 膝に故障を抱えている人には最適な運動手段だが、健康ならばやはり骨にもある程度の負荷は必要になる。骨も甘やかしすぎると脆くなるのだ」


こう考えるとトライアスロンとは実に合理的な競技です。

筋肉負荷 : ジョグ < 自転車 < 水泳

骨の負荷 : 水泳 < 自転車 ジョグ  

と、実にバランスよく構成されているのです。

さらにいずれの種目も持久力を要します。


「なるほど、どうやら適当に組み合わせた訳ではないようだ」

私は意味なく独り言ちながらペダルを回していました。

滲む汗を爽やかな風が拭います。

するとまたこんな事が頭に浮かんできました。


「何のために汗をかくのか?

もちろん走るためである。

それでは何のために走るのか?

もちろん狩猟の為である」


その昔、我々の遠い祖先が狩猟採集で生きていた時代、肉を確保する主な手段は腐肉漁りでした。

動物の死骸を漁って貴重なたんぱく質を得ていたのですが、それとて危険と隣り合わせです。ハイエナやその他の肉食動物との競争率がとにかく高かったのです。

当時から戦闘力が最弱だった人類は、やがて多くの肉食獣とは異なる狩猟方法を思いつきました。

昼の炎天下、動物が木陰にこもり動かない時間を見計らって、草食獣を狩るのです。

汗で体温を下げられる人間は、呼吸でしか体温を下げることの出来ないその他の動物に比べ高い気温に対する耐性が高かったのです。


車で例えると、

高性能の水冷式冷却システム = 人間

空冷のみの冷却システム = その他の動物

となります。

もし空冷のみのF1(つまりラジエター無し)と一般乗用車がサーキットで競争すれば、後者が必ず勝ちます。

前者は間違いなくオーバーヒートするからです。


更に二足歩行によって、直射日光を受ける面積が四足歩行動物に比べ圧倒的に狭いこともそれに寄与しました。

この特性を以て人間はとにかく獲物を追い続けました。

いつまで追うかと言うと、相手が日射病で動けなくなるまでです。

瞬発的なスピードでは全然かないませんが、人間は獲物の逃げる方向を予測し、獲物が自分の熱を冷ます時間を与えないようにして徐々に追い詰めるのです。

当時は槍などの投擲武器も無かったので、人間の狩猟手段はただ獲物が熱暴走を起こして動けなくなるまで追い続けるという持久作戦しかなかったのです。

ちなみにこの手法は、割と近年までアジアやオーストラリアの原住民が採っていたようです。


つまり、人間の体は(長く)走るために最適化されているという事です。

なので、人は走る事が大好き(なはずです)。

犬が意味なく全力疾走して実に楽しそうに遊んでいる光景を思い浮かべてください。

それはそのまま我々人類にも当てはまります。

これほどジョギングやマラソンなどの長距離走を自ら進んで娯楽として楽しむ動物は他にいません。

もし我々の上位の存在がいるとしたら、彼らはきっと我々が犬を見て感じる微笑ましさを同じように我々に対して抱いている事でしょう。


さて、こんな事を考えているうちに気が付くと帰宅していました。

サイクリングにはジョギングには無い楽しみがあります。

遠くまで行ける事、

そして、走りながらでも割と思考が出来る事。

更にその思考は、散歩のときと同様に前向きで創造的なものになります。


「たまには自転車にも乗らないとな。

 今度洗車でもしてやろうか」


決意が実行されるかどうかは定かではありませんが、少なくともこの時の前向きな自分はそう思ったようです。


それでは!

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