2021年8月8日日曜日

野生の体を取り戻す!「あるA子の日常」

 丸の内のオフィスで日々の激務に励むOLのA子。

「あーー○○ムカつく!ホントにムカつく!マジムカつく。うぅぅぅもう辞めたいぃぃ」

今日もくたくたになって独り暮らしのマンションに帰宅し、熱いシャワーを浴びて冷たいビール片手にソファにどっかと腰を下ろす。そしてTVでお気に入りの芸人を観て一笑い。ふと窓際で育てている観葉植物に目をやりながら、

「あぁ、やっと明日はお休み。この解放感。やっぱり家が最高!いやされるー」

A子は疲れた体をソファによこたえ、やがてうとうとと眠りに落ちていくのだった。


と、いきなり三文小説風に始まりましたが、現在読書中(遅々として進まない)の「GoWild」でまた思う所があったので今回も思いのたけを綴りたいと思います。

帰宅して一見ストレスから解放されているように見えるA子ですが、本当にそうなのでしょうか?

まあ全く「されていない」ことはないとは思いますが、これはある種のトリックで、もしかすると「激務」との対比効果でそう感じているだけかもしれません。

以前にも紹介しましたが、「人は20万年前から基本的にはそう変わっていない」ということ。

それを加味するとこのシチュエーションで人はどの程度癒しを享受できているのでしょうか?


はるか昔人間は、老若男女の集団でたき火を囲み、そこで周囲の捕食動物の存在に気を遣いながら今日の出来事をそれぞれに語り、火の番を交代しつつ眠りについていました。

はぜ続けるたき火の音や見知った人の囁き声を子守唄に、そして周囲の自然環境をゆりかごにして安心を得ていたのです。

人にとってそれらの音が心地よく感じるのは現代においても変わらず、某YoutTubeでは「癒し」や「睡眠」などを促す動画として1つのジャンルを築いているほどです。

ではなぜそれらが心地よく人に癒しをもたらすのかというと、それはひとえに「今自分は捕食動物から守られている」という安心感からです。

燃え続ける火、信頼できる人々の穏やかな様、いつもと変わらない風の音や虫の声、これらは全て「今自分は安全な状況にいる」ということを示してくれるものなのです。

なので現代において、気の置けない仲間と一緒にキャンプをするというのも、このような状況を懐かしんでの疑似体験なのかな?と思います。

エステやマッサージなども同様ではないでしょうか。

(雰囲気のある)安全な場所で(信用すると仮定した)人にされている「ある種の守られている感」が癒しの根源だと思います。


こう考えると、A子は観葉植物やTV、そしてコンクリートの密閉空間によって「自然や集団に属し、危険から守られている感」を現代風に演出しようとしています。それも全て無意識のうちに。

人の生活様式はすっかり変わってしまっても、やっぱり「怖れ」や「安心」の本能的な部分はまだまだ「大昔のまま」のようです。


A子は昼の激務で大変なストレスを受けているようです。人間関係や業務関係、その他さまざまな要因があるのでしょう。

ヒヒを対象にしたあるストレス実験が行われました。

動物にとって大きなストレッサ―(ストレスを与えるもの)とは何か?

当然、前述したように捕食動物に対する恐怖や危機感だと思いますが、結果は違っていました。

ヒヒは集団のリーダーから受ける様々な威嚇や恫喝などの嫌がらせに対し、最も高いストレス数値を示したのです。

実に不思議で面白い結果ですね。

集団行動をする人間などの社会性動物にとって「やられる!食べられる!」という命の危険よりも、身内の長の振る舞いの方にストレスを感じるというのです。

はたして、A子は昼に受けるストレスと夜に受ける疑似的な癒しのバランスはとれているのでしょうか?

大丈夫かA子!負けるなA子!

現代社会において昼のストレスは増える一方で、夜の癒しは減っていくばかり、今後のA子が心配です。


このような状況を鑑み、世界のリーダー的な企業、例えばGoogleとかAppleとかでは様々(昼寝や就業中の運動が自由だとか)な試みがなされているようです。

まあこれもこのほうが利益を上げられる(業務効率↑)と判断した結果であって、必ずしも人道的側面を最優先にした訳ではありません。その方が結果的に儲かる(イメージ効果含め)からです。

なので個人は個人で色々考えないとダメです。

世の中はまず効率最優先で変化します。(コアラのDNAと同じですね)

どうしても目に見えにくい心的或いは本能的要素は後回し。

待っているだけでは多くの犠牲者のうちの一人になる事は請け合いです。

現代人も一皮むけば20万年前の原始人と同じ。金髪碧眼が出てきたのがようやく1万年前。人類はまだこの程度の変化しかしていないのです。

自分の心に耳を傾け(なぜこれが好きなのか?嫌いなのか?楽なのか?辛いのか?)、色々考えてみましょう。


それでは!


ちなみに今回の参考文献は今読書中の

「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」

 ジョンJ.レイティ (著), リチャード・マニング (著)

です。

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2021年8月6日金曜日

野生の体を取り戻す!「コアラとホヤの共通点、そして人生とは」

 今日も暑苦しい京都、皆さんいかがお過ごしですか?

私はというと、さっき昨日の残りのドラゴンフルーツを食べて、名前とは裏腹なそのパンチの無い味にある種の戦慄さえ覚えている所です。

そう言えば現在読書中(遅々として進まない)の「GoWild」に、また興味深い情報が載っていたのでドラゴンフルーツの口直しにでもここで紹介したいと思います。


みんなのアイドルにしてユーカリの王コアラ。

ずんぐりむっくりしていて可愛いですね。人気がでるのも理解できます。

いつからユーカリを住処兼食料としていたのかは知りませんが、ご存知の通りとにかく彼らはユーカリ無しには生きていけません。まさにユーカリに特化し最適化された生き物なのです。

なにしろユーカリにしがみついている限り、外敵からの脅威は減りますし、食べるものに苦労することはありません。まさにパラダイス、理想郷です。

そんな如何にも幸福そうなコアラですが、実はかれらの頭蓋骨の中身はスカスカだそうです。なぜなら脳みそが恐ろしく小さく退化しているからです。

なのでいずれ脳のサイズに合わせて頭も小さくなるでしょう。

8頭身のコアラ、どう考えても可愛いとは思えません。


「コアラ……頭が良さそうには見えなかったが、まさかスカスカだったとは」


彼らの脳がなぜ小さくなったか?

それはユーカリを見つけて、そこから必要十分な栄養を摂取できるようになったからだという事です。もはや餌を探して採る必要がなくなったので、「考える必要」或いは「考える事自体」が無くなってしまったのです。

同じことが海生生物、食べても美味しい「ホヤ」でも起きています。

彼らは生まれてすぐ栄養価の高い海域を探して泳ぎます。

そして生息に適した場所を見つけると、真っ先に行うのが自分の脳を食べる事だといいます。

何故なら、コアラ同様もう必要ないからです。

無駄にエネルギーだけ食う非効率な部分は、問答無用で切り捨てるのが生き残るためのルールです。


「そうですっ!我々の頭と体だって日々隙あらば効率化に勤しんでいるんですよ。

 あー恐ろしい」


DNAは「将来」や「未来」などという概念を持ち合わせておらず、ただ今に順応するために変化するようです。3か月後の引き締まった体を夢見て辛い筋トレをお金まで出してするのは人間だけで、それは人間が未来という概念を持っているからなのでしょう。


こう考えると、一見コアラもホヤも「幸福な人生」を送っているようには見えませんが、そもそも幸福な人生とはなんでしょうか?

もし我々より高次の生き物、例えば「神」がいるならば、コアラと人間、いったいどちらが幸福な人生を送っていますか?の問いに恐らくこう答えるのではないでしょうか?


「どっちでもええ。そもそも興味ない!」


これは、我々が「ダンゴムシとミノムシ、どちらが幸福か?」という問いに対する答えと同じです。


サマセット・モームは人生についてこう言いました。

「人生に意味など無い。それはただペルシャ絨毯の意匠である」

と。


ペルシャ絨毯はそれを編む人によって一針一針様々な意匠が織り込まれます。

毎日少しずつ少しずつ。

そして気が付くと、複雑で唯一の絨毯に織りあがっています。

織りあがった模様には何の意味も無いのですが、どれだけ複雑な意匠を織り込めたかでその絨毯の価値が決まります。

それでもシルクやウールで織られているので、いずれ風化してこの世から消えていくのですが。


人の人生もそんなもんで、人それぞれに全く別の、実に複雑な絨毯が織りあがります。

そして、織り終わった後は人々の記憶から消えていくだけです。


恐らくコアラやホヤには出来ないであろう人生を織る作業。

どうせなら思いっきり複雑な模様に織りあげたいものです。

それでは。


ちなみに今回の参考文献は今読書中の

「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」

 ジョンJ.レイティ (著), リチャード・マニング (著)

です。

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2021年8月5日木曜日

ドラゴンフルーツを食べてみた。

 スーパーで半額セールだったので購入してみました。

ドラゴンフルーツ!


名前は知っていてもこれまで食べたことが無かったので、まず思ったのが、

「ど、どうやって食べるんだ。これ……」

でした。


まさか皮ごと食べれるタイプではあるまい、ならば

「とりあえず真っ二つにしてみるか、中を見れば対処の仕方も見えてくるだろう」

私はとりあえず包丁でざっくりいってみました。


赤、とみせかけて中は白か。

その上どことなくチョコミント的なつぶつぶまでトッピングされている。

さて、一体どう食べるのが正解なのだ?

スプーンですくう?それとも……


皮と果実の境目がわざとらしいほどにくっきりしている、まるで

「これをむいて食べるんだよ」と言わんばかりに。


私は試しに龍の鱗のような(見たことは有りませんが)真っ赤な皮をむいてみました。

「むける。スルッと」

その皮はまさにお菓子の包装紙同様、「保護と剥がしやすさ」を両立させた恐ろしく人間にとって都合の良い仕様になっていました。


私は、そのまま口に入れて「はい終了」というのも勿体なかったので、とりあえず何個かに切り分け、真ん中に爪楊枝を立ててみました。


「なんかちょっとオシャレになった。白い大学芋に見えなくもないが」

ドラゴンフルーツの正しい食べ方がどのようなものなのかは知りませんが、どうやらこれで食べられそうなのでそのままいってみました。


そして感想、

「イチジクとキウイを足して、(甘さ含め全ての)味を引いたもの」


触感はイチジクとキウイの間で、味はまさかの”無”

「なるほど、半額で売られてるわけだ」

納得した私です。


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2022年、明けましておめでとうございます

細雪の舞うここ京都。 つい先ほど、私は家から歩いて5分の神社で2022年の初詣をして参りました。 コロナ過という事もあって例年の賑やかさは有りませんが、それでもやはり日本人。 恐らくご近所と思われる方々が、本殿の前に列を作っていました。 時計を見ると0時2分前。 しばし小雨まじり...